今日は窓越しに、日が射してると暖かさを感じましたが、寒風肌に刺さる外回りでした。走りました。
疲れ果てた帰宅後の風呂は、長めの入浴は、体の芯まで暖まり、気分が癒されます。元気が出ます。
気分を変えまして、今日は私の生家「富田屋」の話しにお付合い下さい。
高山の当地にて大正7年に営業を始めました。創業以来92年のこの店には、歴史があるわけです。
曽祖父の代より地元では「富田屋」と皆様に可愛がられ、平成になりましても細々と年老いた母が気骨に
て60年余頑張って、店を守り続けて参りました。(母の頑張りには子供ながら、尊敬しています。)
しかし、年末に母からの申し出により(断腸の思いであったようです)、歴史に幕を閉じました。
店番する母は近年骨折後歩行が思うようにいきませんでしたが、それでも頭と耳と眼はしっかりしていまし
て、「ごめん下さい」、「居ますか」と店に入られましても、奥の方に居るときは直ぐには出て来ることが出
来ませんでしたが、お客様の声は届いていましたので、「はい、ハイ、はーい。いま行きます」と返事
しながら、ゆるりと店に現れる最近でありましたが、それでも頑張っていました。
私の子供時代と比べれば品数、商品など変わりましたが「雑貨屋」として、また地元の古くからのお客
様とのお茶のみ、世間話、雑談の寄り合い場所となっていましたが、母が元気な内は「富田屋」として残し
て行きたいと、心配はしながらも見守って来ました。
この年末に30年振りに訪れた友が「子供時代の店がここにはある。昭和があるよ。おばさんは昭和劇
場の主役だ」と色んな品を感激しながら手に取り、眺めていました。その言葉に私も再認識し、何年振りか
で店を見渡してみました。 店内の雰囲気は写真で想像、感じて頂ければ「昭和劇場」がお解り頂けるか
と思います。
想像していただけましたでしょうか?(昨年までの92年間の「富田屋」を)
「新しい朝が来た」は、母の自作です。「衆及愛博」(書)は、{はくあいしゅうにおよぼす}と、読んで終戦前
の明治天皇の教育勅語の一文だそうです。富田屋に立ち寄った須弥山日道(すみせんにちどう)という、
みすぼらしいお坊さんが親切にしていただいたお礼に、したため置いていったものだそうです。(母談)
「坂の上の雲」(司馬遼太郎)が無造作に置かれていますが、亡父の愛読書にて、母が店に何故か何年
も埃も被らず置いてあります。母とかみさんと弟です。(この写真を見て友が、「おばさんと弟君の手が。自
然と握り合ってる手が、手が素晴らしい。青山家はこれまた昭和の家族愛だ」と気づいていなかった私に、
指摘し、おだててくれました(^^)。
感じていただけましたでしょうか? 「昭和劇場」を。実は私も、今回我が「富田屋」を再認識した次第であ
ります。これも地域の方々との和と、また絆にて、今までやってこれたんだと深く感じ入りました。
卯年、2011年、年末にて92年の歴史に幕を閉じ廃業と致しましたが、長年にわたり地域地元の皆様
方にご愛好とご厚情頂きましたこと、深謝申し上げます。ただただ、感謝であります。
まだまだ、母は元気であります。通りすがりの折にはお声を掛けていただければ幸いであります。