「素 描」 より

第8回(最終回) 2月23日掲載 「出会いは人生の宝物」

 

今から33年前、29歳を迎える春に中津川市(旧福岡町)へ帰郷しました。やむを得ぬ家庭の事情でしたが、当時は東京で一生を終えるつもりでいたので、東京を離れることは多くの友人、恩人との別れを決断することであり、大いに悩みました。その複雑な気持ちを整理するつもりで、帰郷後に車を購入予定だった少ない退職金でアメリカ旅行をしました。旅の大きな目的は、カリフォルニアのヨセミテ国立公園を訪ねることでした。氷河で削られた雄大な自然の風景、厳しささえ感じさせるすがすがしさに触れ、この地を訪れる人たちのおおらかさの中に見える真剣さに人生の愉しみ方を見た思いでした。都会に住むことにこだわり続け、自己満足だけを求めていた自分が小さく見えた瞬間でした。憧れの地ヨセミテは期待を裏切らなかった。そう感じられたことで、心機一転、故郷での新しい暮らしを始めることができました。その後32年間勤めたJA時代、多くの人との出会いを得ました。先輩、同僚、仲間に助けられ、組合員のために一生懸命に働きました。人とのつながりが支えとなったのです。そうして迎えた還暦という節目の年に市長選に出馬。人生最後の大きな決断ができたのも、そうした支えがあったからのことでした。将来に向かって歩み始めたこの一年、多くの人と出会い、励まされ、教えられました。旅先で中津川を知る人に声をかけられるなど、思いがけない出会いもありました。もちろん東京時代の友人、恩人とは今でも連絡を取り合っています。出会いは人生そのもの、人生の宝物です。

「素 描」 より

第7回 2月16日掲載 「次代へつなぐ伝統文化」

 

子どもの頃、自宅近くの芝居小屋「常盤座」へよく遊びに行ったものです。お祭りの余興や巡回映画、チャンバラごっこと、遊ぶには一番の場所でした。地歌舞伎公演には大勢の人が集まり、にぎやかな雰囲気が子ども心に大好きでした。常盤座に行くと今もその場の空気や音に、小屋の中を走り回った記憶がよみがえります。常盤座のような小さな芝居小屋には都会の大きな劇場にはない温かさ、舞台と客席の一体感があり、エネルギーが満ちあふれています。中津川市内には明治座、常盤座、蛭子座と三つの芝居小屋が残っていますが、物が豊かではなかった時代に協力して建てた地元の人たちの情熱に、生活の活力を求めた心の豊かさを感じます。近年、社会情勢の変化により、こうした伝統芸能や祭りの継続が困難になっています。文化の伝承は容易ではありませんが、都会ではすでに失われたものを求めて地方に人が来る時代です。中津川市にも県外から多くの人が訪れています。これらの文化は地元のみならず日本の貴重な財産であり、次代に引き継ぐことは私たちの責務です。市に残る伝統文化は歌舞伎、文楽、祭りなどさまざまですが、保存会などが苦労しながらも後継者育成に取り組んでおられ、時には市外からの移住者が担い手として加わることもあります。最近では文楽や歌舞伎は海外でも公演を成功させるなど、伝統文化の魅力を広く発信しています。芝居小屋や祭りは人が集い、交流する場というだけではなく、心のふるさとである伝統文化を次代へとつなぐ中心となっているのです。

「素 描」 より

第6回 2月9日掲載 「人の営みは自然とともに」

 

人は自然の恵みを受けて日々の暮らしを営んできました。農業や林業はまさに自然と人との関係の深さを表しています。コメ作りは日本の農業の代表ですが、コメには稲・米・飯・という三つの顔があります。稲が育つ田んぼは生産の場であると同時に生き物の生息の場でもあり、環境保全や保水など様々な機能を併せ持ち、田園の景観を形作っています。その稲から米を収穫しますが、米は租税、年貢などお金に換算されてきたように、現在も経済の面で語られるのは「米」です。米は炊かれて飯となり、長年、日本食文化の主役として君臨してきました。コメ作りはこれら三つの要素で日本を支え、文化の基礎を作り上げてきたのです。米のことばかり議論して稲と飯が語られないのでは、日本の文化そのもののバランスが崩れてしまいます。林業の果たしてきた役割もまた、材木を生産するだけでなく水源となる森を育み、地球温暖化の防止、生物多様性の保全など山林の多面的機能と密接に関わっています。そうした機能を維持するためには、計画的に間伐するなど人の手で保全する必要があるのです。上流域にある森が生み出す水や空気といった恵みを下流域の住民も享受しています。ことしは中津川市の誇る木材が使われている伊勢神宮の式年遷宮や名古屋城本丸御殿の一部公開などがあります。この機会に川上と川下の交流をより深め、森の恵みを共に守り育てていきたいものです。農業も林業も自然の中で素材を作り育てていく、自然とともに歩んでいく人の営みそのものです。日本人として大切にしたいと思います。

「素 描」 より   

第5回 2月2日掲載 「ものづくりのまちの将来は」

中津川市は古くは東山道をはじめ中仙道、飛騨街道が、今はJR、国道19号、中央自動車道などが通り、交通の要衝として発展してきました。14年後にはリニア中央新幹線が停車します。街道の宿場町、物流の中心として商業が発展。明治時代には養蚕が盛んなこの地域で、絹糸の生産が始まりました。鉄道が敷かれ交通の発展とともに製紙、電気機器の大企業が立地すると、地元関連企業も誕生。1986年から中核工業団地の開発が始まり、現在では17社で2千人を超える人が働いています。時代の変遷とともに形を変えながら、優れたものづくりの技術が集積されてきました。市内で働く労働者のうち、製造業で働く人の割合は3割を超え、全国や県を大きく上回っています。しかし、長引く不況で地域経済は疲弊しており、地域の活力のもとである産業の振興が大きな課題です。ポケベルやワープロは瞬く間に携帯電話、パソコンへと移行。技術の進歩のサイクルは大きく短縮されています。培われてきた技術力を生かしていくには新しい分野の開拓が必要です。成長分野である次世代の省エネ住宅「スマートハウス」の設備をオール中津川製にすることもできるはずです。リニアの利用で首都圏から1時間圏内となり、技術力を生かせる産業の展開や、研究開発施設、教育関連施設を誘致できる可能性もあります。若い人が働き住み続けたいふるさとづくり、リニアで足を運んでもらえる魅力あるまちづくりを実現するために、ものづくりのまちは新たな挑戦の時を迎えます。

第4回 1月26日掲載 「苗木城を訪ねませんか」

苗木城は木曽川沿いの標高432㍍の山に、平らな場所がほとんどない地形を石積みで工夫して築かれた城です。自然の巨岩と人工の石垣とを組み合わせて石積みが築かれており、見応えのあるものとなっています。木曽川と中山道を望む絶好の位置にあり、戦国の世の攻防からここに築かれました。時を経て城はなくなり、今は天守跡からの絶景が自慢となっています。天主跡に立つと、恵那山の裾野に広がる市街地、中仙道の中津川宿や古代東山道が通った神坂峠も遠望できます。西には笠置山から二ツ森、さらに北に高峯山など、360度の眺望を楽しむことができます。早春のころは木々も芽吹く前で景色は淡い色合いですが、雪を頂く山々は青くさえざえとしています。夏は木曽川の青さが緑に映え、秋には紅葉が彩りを添える、四季をダイナミックに感じられる場所でもあります。天守跡からではなく、市街地から城山を眺めてみるのもまた良いものです。戦乱の時代や街道の往来、先人の知恵や苦労など、いにしえの時代へと思いをはせ、想像が膨らんでいきます。苗木城は別名「赤壁城」ともいわれ、白壁を造ると何度も木曽川の竜に阻まれて断念、赤壁のままになったという伝説があります。実際には経済的に苦しく、しっくいが塗れなかったとも。それでも、幕末1万石大名のなかで城持ちは苗木遠山氏のみだったといわれています。明治の初めまで城を維持してきたことは誇るべきことです。ここ苗木城跡は中津川市のシンボルのひとつであり、次代に残していきたい宝物なのです。

第3回 1月19日掲載 「市長就任2年目を迎えて」

人生の転機となった昨年の中津川市長選への立候補から1年。時のたつのは早いものです。思い描いていた行政の姿と違い、現実は時を重ねてきた蓄積があり、知れば知るほど、抱える課題の大きさを痛感しています。市長として「和と絆を育むまちづくり」を掲げたのは、当時、新図書館建設をめぐって市を二分する状態が続いており、「このままではいけない」との思いがあったからでした。リニア開業を見据え、まちづくりの方向性をもっとオープンに議論できる風通しの良い市にしたかったのです。1年間を振り返ってみると、いくつかの出来事が思い起こされます。新図書館建設を公約通り中止したことは、本当に大きな決断でした。また、就任間もなくの市制60周年記念式典では、これまで市の発展にご尽力いただいた方々にお会いすることができ、還暦を迎えた中津川市の新しいスタートに気の引き締まる思いでした。ぎふ清流国体では温かい声援と選手たちの熱い戦いに深く感動。多くの人と出会い、多くの経験をした1年は、忘れ得ない年となりました。経済が低迷するなか、まちを元気に、そして強くしていかなければなりません。2年目を迎えることしは産業振興、地域活性化、災害対策の三つを中心に市政を進めたいと考えています。課題は多くありますが、職員一丸となって、多くの市民が市政に参加できる市政運営に努めたいと思います。まちづくりに終着点はないのです。これからも助言をいただきながら、一歩一歩着実に進んでいくしかありません。感謝を胸に、また一歩。

「素 描」 より   

第2回 1月12日掲載 「人生の一里塚」

ことしの成人式は1月14日です。思い返してみると、私が20歳のころはまだ学生運動が盛んで、学生のエネルギーがあふれる時代でした。反面、当時の若者は無気力、無関心、無責任の三無主義が代名詞でもありました。自分自身もやはり無関心だったと思います。昨年11月、ことしの成人式実行委員を中心に、成人を迎える若者と懇談会を行いました。海外の人に紹介できるまちづくり、若い人を呼び込むまちづくりなど、彼らの発言は自分自身に関る課題として地域社会の現状を的確に捉えています。今の時代を生きる彼らの意識の高さに感心し、時の流れによる価値観の変化も感じました。今の日本は少子高齢化が進み、人口減少の時代を迎えており、社会の仕組みも変化してきています。14年後にはリニア中央新幹線が開業。これからの時代を切り拓くのは若い人たちの価値観と判断力です。リニアが来ても地域に魅力がなければ、単なる便利な乗り物にすぎないものとなってしまいます。成人式を迎える彼らには社会を担う一人の人間として、物事を判断できるための経験、価値観を高めるための経験をたくさん積んでほしいと願います。実際に見てみる、やってみることが自分自身の力になります。人生の先輩や友人、恋人など、人の話に耳を傾けること、目を大きく見開いて世界を見ること、自分につながる歴史を学ぶことも自分を成長させると思います。20歳というのは人生の一里塚。これからが人生の本番です。時代に流されることなく、時代を切り拓いていってほしいと願っています。

「素 描」 より 

昨年、岐阜新聞社より「素描」への執筆依頼をうけて、本年1月5日から2月23日の毎週土曜日に8回に亘り掲載されました。題材としたテーマの季節や時期的なズレはありますが8回分を随時紹介します。(※  岐阜新聞社「素描」- 県内、県外に在住する県出身の各界の方が執筆する随筆で、月曜日から日曜日まで毎日掲載されています。)

第1回 1月5日 掲載 「年の初めに思う」

新年おめでとうございます。新春にあたり、皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。中津川市制施行60周年で新たなスタートとなった昨年は、市内でぎふ清流国体レスリング競技会が開催され、全国から訪れた選手たちを市民の皆さんと共におもてなしすることができました。皆さんの温かい声援と、それを背に受けての地元選手の活躍に大変感動しました。選手たちのひたむきな姿勢は、私たちに大きな勇気を与えてくれ、日本再生への思いを強くするものとなり、心に残っています。しかしながら、国の内外とも社会情勢は依然として厳しい状況が続いています。昨年末に誕生した新しい政権には今の日本の閉塞感を打ち破るべく、地域の活力につながる施策を期待しています。ことし秋にはリニア中央新幹線のルートと停車駅の位置が決定します。リニア開通まで14年。これからは停車駅を中心としたまちづくりが本格化します。中津川市だけではなく岐阜県、周辺市町村と一緒になって、広域でのまちづくりに取り組まなければなりません。リニア開業の効果を県全体が享受するためには、周辺地域と共に国や県に協力と指導をお願いしていきたいと思います。そして、中津川市を訪れる人が「また来たい」と思えるまちにしていくために地域の魅力を磨き上げ、外に向けて情報発信していくことにも取り組みます。市民の想いを大切にし、市政の船頭として時代潮流を見誤らないことが肝心と、思いを新たにする年の初めです。春の風をしっかりと受けて、いざ出港!