恵那文楽記念公演

3月24日(日) 東美濃ふれあいセンターにて、中津川市制60周年/岐阜県無形民族文化財指定25周年「恵那文楽記念公演」が開催されました。300年以上の歴史をもつ恵那文楽は、元禄年間(1688~1704)美濃国を巡業した淡路島の傀儡師(くぐつし)によって川上(かおれ)地区の人々に伝授したのが始まりとされています。現在、保存会を中心に小学生も参加し(ジュニア文楽教室)伝統が守られています。         やはり中津川は人の交流が盛んなまちですね。

 

 

「私が卒業した中学校」(つづき)

(当時の中学生バレーボールは九人制で、恵北地区の男子チームは付知中と加子母中にしかなく新たに高山中が加わりました。)       「やる」と決めたら切り替えの早かった昔の中学生、三ヶ月後(7月)の大会を目指して練習に打ち込んでいくはずでした。 が、 基本も技術もなく、隣で練習する女子部にも翻弄される始末。さほどの期間を要することもなくチンタラムードに陥ってしまいました。F 先生も誘ってはみたもののバレーボールに関しては素人同然で、、、、、、互いに歯がゆい日々が続きました。

4月が終わろうとしたある日、男子部員が教室に集められ、実業団チームの練習風景を8ミリで見せられました。監督、コーチが真近の女子選手に力いっぱいボールを打ち続け、選手はクルクル・クルクルとボールを拾うと同時に回転している。大迫力の映像は“東洋の魔女”と呼ばれ、東京オリンピックで金メダルに輝いた日紡貝塚の練習風景であり、クルクル回っていたのは、今でこそ当たり前になっている回転レシーブでした。

やはり純真(単純?)だったのでしょう、その日を境に練習内容も一変し真剣に練習に取り組むようになりました。F 先生会心の策でした。

7月、素人集団の3ヶ月の練習の成果が試される大会が加子母中学校で開催され、私はバックセンターで先発しました。結果は準優勝でしたが試合後、加子母中学校のプールで泳いだことしか記憶にありません。試合中はよほど緊張していたのでしょう。

2年生となり顧問は転入のH 先生に代わりました。細かな技術に詳しい先生の就任でチーム力にも幅ができ、待望の東濃大会出場を果たしました。お世話になった先輩が退部、新チームの主将とセッターを任されましたが練習を重ねるうちに不安(プレッシャー)に襲われ、練習することで不安を打ち消そうとする日々は「もっとうまくなりたい、強いチームにしたい。」の気持ちが強すぎてチームに亀裂をまねいてしまうほどでしたが、チームワークについて熱く議論した良い機会にもなりました。

不安から仲間を信頼しチームワークにも自信がめばえた頃、最後の夏の大会はやって来ました。会場は福岡中学校。優勝!。先輩の残した実績に肩を並べることが出来た時の安堵感は今でもはっきりと憶えています。                                        東濃大会はがむしゃらに戦いまさかの準優勝、夢にまで見た県大会の出場権を獲得できました。

翌日、さめやらぬ興奮状態で練習をしていたところへ学級担任のI 先生から呼び出しがありました。3年生全員で訪れると、「H 先生が顧問をやめると言っている」 ・・・・・  みな蒼白になり理由をたずねました。 それは県大会出場を決めた時の喜びを最初にF 先生の元に走りよって報告したことでした。本来なら真っ先に顧問に報告すべきことなのに・・・・・・・・・・・・・。 長い沈黙でした。我々はどうしたらいいのかとI 先生に相談しました。先生は、「自分たちの非を素直に詫び、引き続き顧問お願いするしかしかたないでしょう。」と言ってくれましたが、どうしても我々だけでは足が動かずI 先生に引率してもらいH 先生の前で口火まで切ってもらいました。   全く情けのない有様でした。

自分たちは本当は野球をやりたかったこと、そんな自分たちにバレーボールを勧めてもらったこと、最初は何もできなくて苦労したこと・・・そんな思い出がF 先生のもとへ最初に走らせてしまったこと。いつの間にか全員大粒の涙があふれていました。

「先生すみませんでした。県大会に出場できるまでのチームになれたのは先生のおかげです。もう一度戻ってください。本当にすみませんでした。」 蝉時雨をあびながら全員が心のそこから頭を下げたとき先生は私たちの気持ちを十分くみとってくれました。

大きな反省を胸に挑んだ県大会は、高校生かと見間違うほどの大型チーム大垣北中学校と対戦、大接戦の末 1-2で敗れました。

高山中学校は、私が夢中になれる機会をあたえてくれました。私が夢中で三年間過ごせた時を与えてくれました。人生で大切なものも学ぶことができました。

バレーボール・プレミアリーグ女子中津川大会

ここ一週間の暖かさに梅も桜も同時に開花し始めました。黄砂、花粉、煙霧、と一時たりともマスクが離せませんね。

3月16日(土)、Vプレミアリーグ女子中津川大会の公式戦2試合が、東美濃ふれあいセンターアリーナで行われました。私も体育館シューズに履き替え、始球式に臨みました。残念ながらサーブはネットイン。中学生時代のバレーボール選手としての勘はほとんどなくなっていました。(笑)

今日は、昭和59年に統合し福岡中学校として10年を経過したことを機に、平成8年に福岡中学校PTA広報誌に私の中学生の思い出としてバレーボールに夢中になっていたあの頃を書いた作文です。

 

 

「私が卒業した中学校」

昭和41年度 高山中学校卒 青山 節児

 

― 体育館と呼ぶことのなかった講堂を真ん中に、東側には上品に積み上げられた石垣、その石垣を従えているかのような風情ある正面玄関をもつ職員室棟、二棟の小学校々舎、正面玄関横には二宮尊徳の石像が校庭に向かって読書に耽る。西側には、当時、東濃一の二階建木造校舎といわれた中学校々舎。全ての施設は廊下で結ばれ、児童・生徒が往来 ・・・・・・・・・・・ 高山小中学校の時代 ―

東京オリンピック開催に沸いた年、昭和39年、私は高山中学校に入学しました。中学生になったといってもクラスメイトは6年来の 級友、顔見知りの先生方、先輩と、さほどの緊張感はなく、多少の興奮と不安を胸に入学式を迎えたことを覚えています。

入学式当日、校長先生に「転校させてください」と訴える大事件が待ち構えていました。                          校長先生のあいさつの最後に『本年より野球部を廃部する』・・・・・ 衝撃的な一言。 野球少年だった私には式終了後の退場が困難になってしまうほど強烈なものでした。                                                                その日、上級生野球部員と入部希望の新一年生が集合したことは云うまでもありませんでした。何とか野球部の存続をと話し合い、三年生を先頭に校長室へとむかいました。                                                            「どうして野球部廃止なんですか」                                                  『グランドが狭く女子ソフトボール部と一緒に練習することは大変危険だからです』                            「どうして野球部なんですか ソフトボール部の廃部はないんですか」                                          『ソフトボール部は非常に実績があります』                                                 「・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・ ・ 転校させてください」                                          「転校 転校 転校」「野球がしたいから福中に転校させてください」                                       『そんなことは出来ん!』穏やかな口調だった校長先生が次第に興奮したのは確かでした。

入学日にして前途多難 、お先真っ暗、とても刺激的な一日でした。

当時は校舎施設に囲まれた上グランドと若干広い下グランドの二面あり、上グランドをバスケット部女子バレーボール部が、下グランドをソフト部と幻となってしまった野球部が使用し、小学生が隙間でひしめく様にボールゲームなどに興じていた。

私自身も小学生時代にボール遊びをしながら野球部の練習に熱い視線を送っていました。    その憧れの野球部が入学と同時になくなってしまいました。

数日後、先輩旧野球部員と下グランドを眺め、野球がしたいとか、先生が悪いとか愚痴をこぼしていた時

『お前ら、いつまでも落ち込んでいたって仕方ないだろ、野球だけがスポーツじゃあるまいし』

「・・・・・」

『バレーボールをやらんか』

「・・・・・」『面白いぞ』

「バレーボールって女子のスポーツじゃないですか]

『ハッハハハ 馬鹿、男子バレーも立派なスポーツだ そんな事も知らんのか ハッハハハ』

「・・・・・」『いいか 待ってるぞ 一緒にやるぞ ハッハハハハ』「・・・・・」

新任の F 先生、インパクトの強い名前・ぶっきらぼうな話し方・爽快な雰囲気・そして豪快な笑い方 <スポーツマンだなー> そう思ったのは私だけではありませんでした。早速幻の野球部員が集合しバレーボールについて話し合いました。やる、やらないと意見は分かれ、全員の移籍はなりませんでしたが3年生一人2年生八人1年生五人、十四名の所帯で単純動機でやぶれかぶれの高山中学男子バレー部が誕生しました。        (つつ”く)