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壬辰(みずのえたつ)の決意

 頌 春

        皆様にとりまして穏やか一年でありましように。

未経験の身の引き締まる新年を迎えました。強い思いを抱いています。 

 

「和と絆を育むまちづくり」を年頭にてお約束致します。

 

  市民の皆様にお約束します目標が、出来上がりました。決意をご覧いただければ幸いであります。

  (写真の上にカーソルをWクリックしていただければ、画面が大きくご覧いただけます)

平和思考

「光陰矢のごとし」

 大晦日を迎えました。年月の速さを特に感じた、特別な卯年でした。自分自身の三大出来事は、

 ①市長選立候補  ②初孫誕生(男の子)  ③専務理事就任と退職

  忘れられない一年となりました。(将来、認知症認定されても忘却とはならないでしょうー(笑)ー)

  社会的には東日本大震災、原子力事故、円高為替、迷走政治、なでしこジャパンなどでした。

  私の支持者、職場仲間、知人、友達、家族そして関わって頂きました全ての皆様に感謝です。

  10月還暦旅行を8日名古屋に泊まり9日早朝の新幹線で上京、明治神宮、浅草寺、靖国神社と廻り、

 友達が待つ横浜へと移動して、中華街でB級グルメを満喫し、喋りまくりました。一日中、歩き廻った強行軍でしたが充実した神社仏閣めぐりの二泊三日でありました。(三日目は鎌倉廻りでした)

 JR山手線「原宿」駅で下車して人ごみ(中津川の十日市並み)をかき分け、神宮橋を30年ぶりに渡りました。玉砂利を足裏に感じ、踏音を感じながら本殿へ 参道を進みましたが、話し声、ざわつきが非常に気になり、あたりを見渡し耳を澄まして気づきました。多国籍観光客、それも圧倒的に中国人でした。騒がしいです。

 東京の参拝風景も時代の流れなんでしょうか?変貌しました、ね。神社参拝も国際化されました。

  明治神宮から徒歩でJR代々木駅へ。山手線を利用して田端駅で 

 下車し、40年前の貧乏学生時代の木造アパートを探し出し、感激のあまり

シャッターを押しまくりました。昔しのまま現存していました。驚きでした。

    

                     田端から浅草へと移動。 

 

 浅草ロック街の屋台にてホッピーを呑みながら昼食。

 にぎやかな通りで飲食するのも楽しいものです。

 スカイツリーが目の前に、天を突いていま

した。浅草は益々元気な街、若者にも魅力あ

る、活気ある名所になるでしょうね。東京時

代(昭和50年前後)は庶民の活気ある街は新宿と浅草でした。その活気あ

る街、浅草が住民力によって再び復活すると感じました。しかし、ここ浅草も

中国語を初めとする、多国籍語が飛び交う国際観光地です。(笑)

 浅草に来たら、「神谷バー」。昭和を電気ブランと黒ビール。

そしてハム盛り合わせで、店内の和劇場を楽

しみました。初対面であっても隣席のお客と会話

が弾み、時の経つのを忘れました。(笑)   

                                               愉快な不思議な店です。

今回の最大の目的であった靖国神社へ、少し顔を赤らめて移動しました。

 長い参道をいくつかの鳥居をくぐり、本殿にて深く拝礼致しました。靖国は時がゆるやかに流れ、静粛にて、欧米人の姿はあってもアジア人の顔、声はありません。心が穏やかに落ち着きます。平和です。

 今回は時間がなく「遊就館」を訪れることは叶いませんでしたが、次回は余裕を持って、平和の尊さ、命の大切さを、更に感じるべき、是非参拝したいとの強い思いにて、靖国神社を後にしました。

 横浜への移動中、眺められるこの国の平和と豊かさを痛感しました。靖国を初めとする、実りある神社仏閣廻りでした。 「平和が何より、平和でなくては世界平和、日ノ本安泰

 間もなく除夜の鐘です。激動の一年ではありましたが充実感ある卯年でした。                 

今年もありがとう御座いました。辰年も宜しくお願い申し上げます。 

 穏やかな素晴らしい、新春をお迎え下さい。

還暦(厄年)

今年は還暦を迎え、趣味である神社仏閣めぐりを古い友と出掛けてきました。

3月は上海の知り合いを尋ねて、蘇州古典園林「寒山寺」(世界遺産)へ。

8月は戸隠神社、善光寺へ。

10月は明治神宮、靖国神社、浅草寺、鶴岡八幡宮、長谷寺、銭洗弁財天へ。

 還暦は、言うまでもなく本厄にて、平安時代の陰陽道に起源をもつといわれていますが、まあ習慣にて特別悪いとかどうとかでなく、この歳を楽しめばイイと思っての想い出作り、行楽気分の参拝です。

8月25日、仕事を終え、中央線を松本・浅間温泉でのんびり地酒をたしなみ、友と語り合いました。

 しかしこの歳を迎えると量は減ります、ね。呑めません。

 コップ酒で、地酒を一杯呑んでころころでした。

 明日の移動の為、早々に切り上げ、部屋で呑み直しと始めましたが、気づいたら朝を迎えていました。(笑)

 翌朝は朝食を早々と済ませ、篠ノ井線を長野へと車中で朝刊と缶コーヒーで居眠りしながら移動しました。

まずは戸隠神社を参拝し、戸隠蕎麦で昼食をとりました。地元の人の紹介の店に入りましたが、蕎麦は香り・喉越し良く、少々濃い目の汁でしたが、蕎麦好きとしてはまあまあ満足しました。野沢菜漬は特別美味かったです。                                  

                                                                          

←戸隠                             

  戸隠を後にして善光寺へ移動しました。                                                                        善光寺→

               ↓善光寺にて

 戸隠と善光寺の移動は、時間がかかりますが、居眠りしながらの車中は、8月とは言え、すがすがしい高原の風が心地よく、気持ち良かったです。 (次回の機会には、参道が特別長い戸隠奥社、本宮まで参拝したいです、ね)

 帰路の電車で呑んだ缶ビールは、還暦参拝した満足感での、格別の喉越しでありました。

  @本日、事務所設置神事を執り行いました。前進してる現実を感じ入っています。身が引き締まります。

 

「端午の節句」は絶句!?

                       ◎「出会いを 大切に すべての 始まり だ」

今日も一日、東奔西走。朝から動き、走り廻りました。色んな人との出会いがあり、人の心の暖かさに寒さを忘れていました。

 移動途中に天気が急変したとき、城山大橋を通過。

 無料化が予想以上に時間はかかりましたが、苗木から中津川市街へは便利に、また安全速度を守っての時間短縮になりました、ね。

 旧道にての雪の玉蔵橋、遠回りの美恵橋を考えれば城山橋の無料化は、生活を初めとして地域活性には大切なものだと思い通過しました。(普段、今まで考えたことなど無かったんですが(^^))

 1951年(昭和26年)5月5日火曜日午後1時30分 富田屋自宅にて産婆さんの手にて誕生。名前の由来はプロフィールにて記載してありますように単純ではありますが、自分では気に入っています。両親に感謝しています。子供の頃から高校ぐらいまでは「せつちゃん」「せつちん」「せつじ」と呼ばれていましたが、社会人になり先輩、上司からは「あおちゃん」「あおやま」と声を掛けて頂くことが多いですが、生年月日だけは、ずばり当てられたことはありましても、聞かれた記憶はありません。何せ、節児(端午の節句:子供の日)ですから。あれから、なんやかんやと60年、還暦です。

 1951年 十大ニュースのトップ3

  ①平和条約凍結:サンフランシスコにて9月4日~8日 49カ国調印(参加52カ国)ソ連、チェコ、ポーランド調印せず(3カ国近年崩壊)。 

                                      戦後、日本が国際舞台に再登場です。戦後復興の本格的始動の年。 

  ②マッカーサー元帥の解任:朝鮮戦争中、トルーマン米大統領。名言「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」

  ③貞明皇后ご逝去:昭和天皇生母。5月17日享年67歳。

  明日は晦日前(大晦日)、何キロ走ることになるか不安ではありますが風を感じながら流れを見ながら走りまくります

  [   せわしなく車を運転していると雪でまっ白の美しい山々が目に入りました。キレイやなあーフツと思いました。「らららー 木曽は山の中です誰も来やしません あなたが恋しくてー」時々私の口からポツとこのメロデイが流れて出るんです。      女房談]

「ピンコロ」思考

 「ピンコロ」とは長寿社会、病気に苦しむことなく、元気に長生きして病むことなく、コロリと天寿を全うする意味の標語にて、正式には「ピンピンコロリ」と言います。(長野県下伊那郡高森町から長野県へ、そして全国での標語となりました) 

 ご承知のように、世界で未経験の超高齢化社会が我が国に訪れようとしています。2008年の平均寿命は82,7歳(♂79,0歳、♀86,2歳)もちろん世界のトップです。しかし、この年齢は数字だけのものであり、哺乳類としてヒトとして自立した尊厳ある数字は、健康寿命が大切だと思います。(医学はヒトによる産物ですもの、ね)

 健常者として、自立した生活が出来る生存期間が「健康寿命」です。

 ’04年WHOのデーターでは世界一の我が国で75.0歳(♂72,3歳、♀77,7歳)。

 個人は当然、高齢者福祉の行き着く先、目標は「ピンコロ」ですね。

         

 来春、介護保険の改正年にあたりますね。JA職員時代に介護保険開始準備として介護事業立ち上げに関わりその法令、現場を経験し、また現在社会福祉法人に携わり、そして何よりも母親の介助現在進行形を経験していまして、社会福祉には障害者福祉をも含めとても関心を抱いています。

 82歳になります母親は60余年に渡り雑貨店をほとんど一人で切り盛りし、家事に子育てにそして店にと、働き詰めの人生ですが、高齢になり転倒脱臼を経験してからは足腰が弱くなり、自力歩行が自宅では伝え歩きは出来ますが、外出ではとても危険となり補助具、介助が必要となりました。ほそぼそですがいまだに店番を毎日生き甲斐として店に出ています。大して商品、品物もおいてありませんが訪れるお客様とお茶とお喋りに日々不自由な歩行ではありますが頑張っています。母の生き甲斐ですので、見守っていきたいと感じています。(止めたいたい時は母の口から出ると思いますので、口は挟みません)

 高齢化社会、この中津川市での近未来更なる超高齢化社会を迎え、個人で取り組む介助、介護を、そして何よりも地域での住民みなさんとの絆の下、ヒトに優しく取り組む介助、介護を考えて行きたいと思います。(弱者に優しいいまちづくり)

 社会福祉につきましてご意見、ご思案などありましたらご教示頂きたく思います。もっと勉強、研鑽したく考えています。

  社会福祉につきましてはまた機会があれば考えてることを述べさせて頂きます。

  お願い:ご意見、アドバイスはトップページの最近の投稿:タイトルをクリックして、その下記コメント欄に是非お願いします。

青山家の年末

♪♪「もういくつ寝るとお正月、お正月にはタコあげて~」♫ ♪ ♬

 あと片手で今年も大晦日を迎えます。

 少年時代(昭和30年頃)の我が家の年末をかすかな、また忘れかけてる年末を綴ってみます。

 高山で小さな雑貨屋(屋号:富田屋)を営んでいたので、この時期はそれは忙しく幼い私を含め四人兄弟は父方の実家にあずけられ大晦日も夜に帰宅する年末でした。何か手伝いをさせらてたとの記憶はありません。

何も手伝うこと無い、言われたこと無い、楽しい年末でした。祖父の家ですからね(笑)(孫は孫!!)

しかし、小学生そして中学生(昭和30年代から40年代)時代は長兄でもあり兄弟で掃除など作業分担表を作り手本を見せるがように手伝いをしたものでした。大掃除の手伝い(雑巾かけの辛さ、手の冷たさ、アカギレの痛さなど)、石臼での餅つき(つけばつくほど杵の重さを感じ、つきたてのきな粉・あんころ餅の美味さ)、父のあとを小走りでついて行った山への門松迎え、思い出されます。

 店を締め、紅白歌合戦が始まるころに家族みんなが揃い年取りをした懐かしい時代でした。

 しかし小学低学年時はテレビも無い時代でしたが賑やかであった記憶があります。除夜の鐘をテレビでみるまで起きていたのは中学になってからのような記憶があります。いつも寝てしまってたと思います。

 子供ながらに見ていた年末は女性は朝から晩まで働き、動き回っていて、特に母は大変だなぁ、と感じてた記憶があります。

 今は文化の価値観もかわり、文明の力により昔ながらの年末はなくなり、女性の重労働も解消された、子供のころからすれば昔とは違う年末風景が、社会にも家庭にもみられる夢のような時代、しかしその現実を強く感じます。平和なんですね。

←はたき。(今の子供たちは猫ジャレ?ぐらいか)

 まだ、使っています。掃除機の時代に(笑)

和と絆

今朝も冷え込みました。

スローガン「和と絆を育むまちづくり」は今年の3・11の出来事はもちろんですが今の中津川市を冷静な立場で考えたとき思いつきました私の気持ちをスローガンとしました。

「和」「和合」を意味しています。地域が住民が、やわらぎあうこと、まちづくりに仲良くすること、をヒトとして大切なこととではないかと思います。子供たちに伝えていく大人の責務と考えます。

「絆」は人とヒトを、人と生ある万物すべてのものを結びつなぎ合わせていくものと思いからです。辛い出来事、経験時に使われやすいですが、楽しいこと嬉しいこと穏やかな幸を感じ合うときも、地域で住民のみなさんと感じ合えるまちづくりに必要と考えました。穏やかなまちづくりが必要です。

 子供たちが若者たちが、このまちに誇りを持ち住み続けたいと感じ入ってくれるまちづくりを目指したいものです。